ついに岩手山も初冠雪。盛岡の秋は短いと感じる今日此の頃です。

 

さて、今年度も後半戦です。今年は残すところ三ヶ月弱。
今年もあっという間に過ぎていきそうな気配です。

 

春に進級、そして順次入園を果たした子どもたちも、健やかに成長して「おおきく」なってきました。
言葉が増えてお話上手になってきたり、トイレに挑戦できたり「自分」を主張できるようになってきたり・・・

それぞれのクラスでめまぐるしい発達を送っているおひさまっ子です。

 

その成長の課程にエッセンスを加えるときもやってきます。それが「ライバルな存在」

 

同じ玩具を使っても、友だちの玩具がキラキラ輝いてしまう。
それぞれ自分のお道具があっても「○○の!」と、まず予防線。
大好きな先生のおひざの上の取り合い。。。

いま、たんぽぽ組を中心に多岐に見られています。
それは友だちを「同じ人間の相手」として認識し、切磋琢磨する人として気づく時。
併せて「他人と違う」ということに自分で気づく「自我」

そんなめまぐるしい発達の中に「ライバル」という大人の言葉が当てはまります。

自分と違う相手とやり取りしていくと、楽しそうなことを「笑い」の同調で感じ、
違和感があることを「ケンカ」で表現します。そうやって、ひとつづつ「関わり方」を覚えていきます。

 

このように、たった少しの成長する時期に、とても深い発達が見られていることが言えるので、
いかに「ライバル」な存在が成長に必要かがお分かりいただけると思います。

では、大人はその子どもたちにどう関わったら良いでしょうか。
それは「過保護になりすぎない」ことです。

子どもに対する大人の過保護さをこういう図説でよく解説されます。赤色の部分は過保護による「拘束」です。

手が抑えられてしまいました。
「自分でできるけど、大人がやってしまう」
「必要以上に手を引っ張って行動を抑制する」
「子どもの手をもって、バイバイ等振らせる」
「選ばせない」
「本人が納得してないのによしよしさせる」
など、手の行動を抑えてしまうことです。

続いて、足が増えました。
「歩けるのに、抱っこして連れていく」
「靴を履ける(または練習中)なのに履かせてしまう」
「必要以上に走らせない」
「早くおいで!と急かす」
「必要以上に歩く位置、歩く方向を指定しすぎてしまう」
「口で動かす」
など、足の行動=子どもの行動を抑えてしまうことです。

 

 

最後は、頭が増えました。
「子どもの言わんとすることをすべて話す」
「解釈しすぎて全部言ってしまう」
「必要なやり取りをさせない」
「大好き!と甘えさせない」
「すべて大人がナビゲーションする」
「ダメダメ連発する」
「子どもの考えを共感しない、または否定する」
「大人の思考を押し付ける」
など、脳みそで考える子どもの思考を抑えてしまうことです。

 

これを解きほぐすにはライバルな存在が必要です
「駆け引きをする大人」
「葛藤を経験するためのお友だち」

そういう香辛料をちょっと付け足してあげることで、子どもたちが自分で「生きようと」していくんですね。

 

大人の人生にも、必ず「ライバルな存在」がいることで、ステップアップしていくと
何処かで聞いたことがあったような。

 

では、満月の夜、静かな夜を過ごしたいですね。